ここ2週間ほどの間に、関川夏央の本を何冊か読みました。「中年シングル生活」(講談社)、「家はあれども帰るを得ず」(文藝春秋)、「石ころだって役に立つ」(集英社)。

関川夏央とは一回りくらい年齢が違うのですが、彼が書く70年代の記憶は中学から高校、大学と一番多感(笑)な時を過ごした私の記憶にも繋がるので、簡単に読み過ごすことができません。また、何気ない一文が「中高年」の一員になった私に小さなとげのように突き刺さります。


たとえば、自身の短い結婚生活の終焉について書いた「石ころだって役に立つ」というエッセーではフェリーニの「道」の主人公たちと自分たちを重ね合わせて、次のように書いています。


「私の場合、ジェルソミーナのメロディーにあたるのは、1974年晩春の夜の重たい空気のにおいだ。私はそれをふとしたはずみに脳裏に嗅ぎ、烈しい切なさを感じることがある。一瞬いたたまれない気分になりもするが、次の瞬間には再び日常にかえって、淡々と時間を費し、刻々と老化して行く。」


言い得て妙だなぁ